偏差値か?学びたい学問か?30年塾講師が断言「そんなの決まってる!」後悔しない大学選びの"たった一つ"の答え

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「wakatte.TV」が面白おかしく煽り、「河野玄斗さん」が冷静に分析する。

いつの時代も、高校生と保護者を悩ませる永遠のテーマ。

「偏差値の高い大学に行くべきか、学びたい学問のある大学に行くべきか?」

この問いを前に、多くの若者が自分の将来を秤にかけ、頭を抱えている。ネットには様々な意見が溢れ、親や先生の言葉に心が揺れる。

もう、そんなことで悩むのはやめにしよう。

30年間、泣き笑いと共に何千人もの生徒を志望校へ送り出してきた私が、この議論に終止符を打つ。ハッキリと言おう。答えは「明々白々」だ。

そんなの、「学びたい学問のある大学」に決まっている。

「え、でも就職が…」「世間体が…」そんな声が聞こえてきそうだ。大丈夫だ。その不安や疑問も含めて、すべて私が論破する。この記事を読み終える頃には、君が本当に進むべき道が、一点の曇りもなく見えているはずだ。

第1章:「好き」は最強のエンジンである - 偏差値信仰がもたらす悲劇

まず、大学という場所を根本的に理解する必要がある。大学は高校までのような「与えられたものを覚える場所」ではない。自ら問いを立て、膨大な情報の中から真実を探し、自分の言葉でそれを再構築していく「探求の場」だ。

想像してみてほしい。週に何コマもある専門科目。何百ページもある専門書。深夜まで続くレポート作成。そして、大学生活の集大成である卒業論文・卒業研究。

これを、全く興味のない分野でやり遂げられるだろうか?

無理だ。断言する。

偏差値という、たった一つの、しかも他人が決めた価値基準だけで大学を選んだ学生がどうなるか。私はこの30年で嫌というほど見てきた。

【ケーススタディ:偏差値で選んで燃え尽きたA君】

かつて、非常に優秀な生徒がいた。A君はもともと生物が好きで、休み時間にはいつも図鑑を眺めているような子だった。しかし、彼の模試の成績はトップクラス。「その成績なら、私立のトップである早慶の経済学部や法学部を狙えるぞ」と学校や周囲に言われ、本人もその気になった。親御さんも「将来を考えたら、看板学部の方が安泰だ」と背中を押した。

結果、彼は見事に最難関私大の経済学部に合格した。誰もが彼を「勝ち組」だと称賛した。

しかし、その1年後。私のもとに、やつれた顔のA君が訪ねてきた。

「先生…大学、全然面白くないです。ミクロ経済?マクロ経済?数式ばかりで、何のためにやってるのか分からない。サークルもバイトもやってみたけど、心が満たされない。本当は、遺伝子の研究とか、生態系の調査とか、そういうことがしたかったんだって、今さら気づきました…」

彼の目は、高校時代の輝きを完全に失っていた。結局、彼は2年次に大学を中退し、専門学校でバイオ技術を学び直す道を選んだ。遠回りはしたが、彼は自分の「好き」を取り戻した。しかし、彼が失った時間と学費、そして自信は計り知れない。

これは、決して特殊な例ではない。偏差値という「神輿」に乗せられて大学に入ったものの、魂のない4年間を過ごし、留年や中退に追い込まれる学生は後を絶たない。

大学の4年間は、人生で最も知的好奇心が爆発する黄金期だ。 その貴重な時間を、「興味のない学問」という苦痛に満ちた牢獄で過ごすのか、それとも「知りたい」という情熱に燃える探求の旅に出るのか。答えは、考えるまでもないだろう。

第2章:「でも、就職が…」その“常識”を疑え

さて、ここで必ず出てくる反論が「就職」の問題だ。

「偏差値の高い大学の方が、良い企業に入れるんじゃないか?」
「学歴フィルターという現実があるじゃないか!」

気持ちは痛いほどわかる。だが、その考えはあまりにも短絡的で、もはや時代遅れだと言わざるを得ない。

反論1:「高学歴は就職に有利」のウソとホント

確かに、就職活動の入り口において「学歴フィルター」が存在する企業は今もあるだろう。有名大学の名前が、書類選考を有利に進める「チケット」になる側面は否定しない。

しかし、それはあくまで「入場券」に過ぎない。

面接官が本当に見ているのは何か?「〇〇大学です」というブランドではない。彼らが見たいのは、**「君が大学の4年間で何を学び、何に情熱を注ぎ、その結果どんな能力を身につけたのか」**という、君自身の物語だ。

考えてみてほしい。二人の学生がいる。

  • Bさん: 偏差値だけで選んだ有名大学の法学部。授業にはほとんど出ず、単位取得もギリギリ。面接で「大学で何を学びましたか?」と聞かれ、「えーっと、法律の基礎を…」としどろもどろになる。
  • Cさん: 偏差値はBさんの大学より低いが、昔から好きだった海洋生物学を学ぶために地方の大学へ進学。研究室に泊まり込み、フィールドワークに明け暮れ、学会で発表した経験もある。「私は大学で、〇〇という深海魚の生態について研究しました。未知の課題に対して仮説を立て、粘り強く調査・分析する力には自信があります」と、目を輝かせながら語る。

君が採用担当者なら、どちらの学生に魅力を感じるだろうか?

企業は「有名大学の卒業生」が欲しいのではない。「自社で活躍してくれる、ポテンシャルを秘めた人材」が欲しいのだ。興味のない学問をただやり過ごした4年間と、好きな学問に没頭した4年間。どちらが人間を成長させ、魅力的な物語を生み出すかは、火を見るより明らかだ。

【みんなの声:社会人Aさん(28歳・メーカー勤務)】「正直、就活の時は有名大学の学歴に助けられた部分もありました。でも、入社してからが地獄でした。大学で学んだ経営学に全く興味が持てず、仕事に必要な専門知識もゼロ。同期は大学の研究を活かしてどんどん頭角を現していくのに、自分はついていけない。もっと本気で学びたいことを学んで、自分の“武器”を作っておけばよかったと、今でも後悔しています。」

反論2:「やりたいことは大学に入ってから見つければいい」の危険なワナ

「まだ高校生だし、やりたいことなんて分からない。だから、とりあえず偏差値の高いところに入って、選択肢を広げた方がいい」

これもよく聞く意見だ。一見、賢明な判断のように思える。だが、これは**「興味の砂漠」でオアシスを探すようなものだ。**

全く興味のない学部・学科に入学して、そこから新しい興味の対象を見つけるのは、並大抵のことではない。むしろ、興味のない授業に耐えられなくなり、大学そのものへの意欲を失ってしまうリスクの方が遥かに高い。

それよりも、たとえ漠然とでも「こっちの方向かな?」と思える分野に進む方が、よほど賢明だ。文学が好きなら文学部、社会の仕組みに興味があるなら社会学部、ものづくりが好きなら工学部。その大枠の中で、様々な授業を受け、専門を絞っていく。少しでも興味のある「土壌」があるからこそ、新しい「芽」が出るのだ。

【みんなの声:大学生Bさん(20歳・経済学部)】「親に言われるがまま、潰しが効くからと経済学部に入りました。『入れば楽しくなる』と言われたけど、2年経っても全く楽しくない。周りは公認会計士やアナリストを目指して熱心に勉強してるけど、自分には無理。最近、サークルでデザインの面白さに目覚めて、そっちの専門学校に再進学しようか本気で悩んでいます。最初から好きなことを選べばよかった…。」

第3章:「学びたいことが分からない」君への処方箋

ここまで読んで、「でも、先生。私は本当に学びたいことが分からないんです」と途方に暮れている君もいるだろう。

その気持ちは、よくわかる。情報が多すぎる現代、自分の「好き」を見失うのは当然のことだ。

だが、ここで安易に「偏差見」という分かりやすい物差しに逃げてはいけない。「自分」と向き合うことから逃げてはいけない。

「学びたいことが分からない」のではなく、「知ろうとしていない」だけではないか? 30年の塾講師として、断言する。君が本気で探せば、心の琴線に触れる学問は必ず見つかる。そのための具体的な方法を伝授しよう。

  1. 「シラバス」を読み込め!
    大学のホームページには、必ず「シラバス(講義計画)」が公開されている。気になる大学・学部のページを開き、1年生から4年生まで、どんな授業があるのかを徹底的に読んでほしい。「面白そう!」と少しでも感じる授業が多ければ、そこは君にとっての楽園になる可能性がある。逆に、タイトルを見ただけでうんざりするようなら、そこは地獄だ。
  2. 「研究室・ゼミ」のページを覗け!
    大学での学びの核心は、3、4年次の「研究室・ゼミ」にある。大学のホームページには、各教員の研究テーマや、学生たちの研究内容が紹介されているページがあるはずだ。「へぇ、こんな研究してるんだ!」「この先生の話、聞いてみたい!」と思える研究室を見つけられたなら、それは運命の出会いだ。
  3. オープンキャンパスは「お客様」で終わるな!
    オープンキャンパスに行ったら、模擬授業を受けるだけでなく、勇気を出して大学生や教員に話しかけてみよう。「この学部で一番面白い授業は何ですか?」「この研究室では、どんなことができますか?」と。彼らの“生の声”にこそ、パンフレットにはない真実が隠されている。
  4. 自分の「なぜ?」を掘り下げろ
    普段の生活の中で「これって、なんでだろう?」と感じることはないか?「なぜ、空は青いのか?」「なぜ、この広告は人の心をつかむのか?」「なぜ、歴史は繰り返すのか?」その素朴な疑問こそが、学問の入り口だ。君の「なぜ?」に答えをくれそうな学問分野を探してみよう。

自分と向き合う作業は、骨が折れる。だが、この努力こそが、君の未来を輝かせる最高の投資になるのだ。

【みんなの声:保護者Cさん(48歳)】「娘が『有名な女子大より、地方の大学の農学部に行きたい』と言い出した時は、正直、反対しました。でも、娘が目を輝かせながら、その大学でできるトマトの品種改良の研究について熱弁するのを聞いて、ハッとしました。私たちが偏差値という物差しで子供の可能性を狭めてはいけないんだ、と。今、娘は毎日泥だらけになりながら、本当に楽しそうに大学に通っています。あの日、娘の“好き”を信じて本当によかったと思っています。」

結論:君の人生のハンドルを握るのは、偏差値ではない

大学は、就職予備校ではない。世間体を気にするためのアクセサリーでもない。

大学とは、君が君自身の人生の主役になるために、知という武器を磨き、情熱というエンジンを燃やす場所だ。

偏差値という他人の評価に、君の貴重な4年間、いや、その先の人生まで委ねてはいけない。偏差値が高い大学でも、学びたくないことを続けることはできない。それは、砂漠で水を求めるような、あまりにも過酷な道のりだ。

逆に、たとえ世間的な評価は高くなくても、君が「学びたい!」と心から思える学問がある大学は、君にとって世界一の学び舎になる。そこでの4年間は、君を大きく成長させ、何にも代えがたい自信と専門性を与えてくれるだろう。

【みんなの声:大学生Dさん(21歳・文学部)】「高校の先生からは『もっと上を狙えるのに、もったいない』と何度も言われました。でも、どうしても学びたい神話学の権威である先生が、今の大学にいたんです。周りの声を振り切って進学して、大正解でした。授業は毎回が知的興奮の連続で、一生ものの仲間にも出会えました。偏差値で大学を選んでいたら、こんなに充実した毎日はなかったと断言できます。自分の“好き”を信じてよかった!」

さあ、もう迷う必要はない。

君が握るべき羅針盤は、模試の結果用紙に書かれた数字ではない。君の胸の内にある、「知りたい」「探求したい」という熱い情熱だ。

その心の声に、正直になれ。

30年間、生徒たちの未来を見つめ続けてきた私が保証する。それこそが、絶対に後悔しない、唯一の選択なのだ。

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