親子の共依存とは?特徴・デメリット・克服方法を徹底解説!

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はじめに

私たちの性格や生き方に関する悩みの多くは、幼少期の育てられ方に起因しています。

特に母親の影響は大きく、自己肯定感や判断力の発達に大きく関与します。

もし今、何らかの生きづらさを感じているならば、その原因を探ると母親との関係にたどり着くことが多いでしょう。

しかし、過去に囚われ続けることは、不幸な生き方につながります。

大切なのは、過去を認識しながらも、未来に向けて改善していくことです。

そうすることで、私たちの認識が変化し、過去すらも違った視点で捉えられるようになります。

共依存とは

他人依存・対人依存

解説

依存とは、それが無くては生きていけない状態

依存とは、「それが無ければ生きていけない状態」を指します。

特に母子関係における共依存は、様々な問題を引き起こします。

共依存の母子関係では、母親が子供の判断力を奪い、子供は自ら意思決定をする機会を失います。

その結果、自己判断能力が養われず、成長しても自立できないままとなります。

また、母親自身も子供に頼られることで、自分の存在価値を確認しようとします。

この背景には、母親自身の自信のなさが関係しています。こうして、親子は互いに依存し合い、離れられない関係を築いてしまうのです。

この依存関係のまま成長した子供は、自己責任を持たず、常に「共有する人」に依存し続けます。

例えば、問題が起こると自ら解決するのではなく、誰かが解決してくれるのを待つようになります。

例1)依存状態のまま教師になると

タロウは、幼い頃から「人に尊敬されること」を好んでいました。

そのため、教師という職業を選びました。しかし、彼の本当の動機は「人のために働くこと」ではなく、「尊敬される存在になりたい」というものでした。

30年間、尊敬される関係を築くことに夢中になって働き続けましたが、実際には「他者のために働く」ことを理解していませんでした。

若い頃から自身の実力のなさを薄々感じていましたが、それを直視せずにごまかし続けました。

そして退職が近づいたとき、彼は自分が何も成し遂げていないことに気付きます。

周囲の人々は充実した人生を送っているように見えますが、タロウの心には虚無感だけが残っていました。

親子の共依存がもたらすデメリット

信念(信の核)の欠如

共依存の状態で成長すると、心の中に「信念の核」が形成されません。

その結果、自分の価値観や判断基準を持てず、思考が日によって変わり、一貫性を欠くようになります。

通常、人は年齢を重ねるごとに経験が積み重なり、成長していきます。

しかし、信念の核がない人は、その場その場で思考が変わり、過去の経験が統合されません。

そのため、いくら時間が経っても成長せず、自己の確立ができません。

大人になりきれない人の心理(加藤 諦三)

他人依存の人に接近した時の感触

他人依存の人は、常に相手の立場を利用しようとするため、周囲の人々にとって「存在感が希薄」な印象を与えます。

彼らは自分の考えを持たず、相手の意向に合わせるため、そばにいてもその人の個性を感じることができません。

無駄な行動の繰り返し

信念の核がない人は、行動管理ができず、自分の行動を統合することができません。

その結果、行動が散乱し、一貫性のない選択を繰り返します。

これを「行動ゴミ」と呼ぶことにします。行動ゴミとは、無計画に行動を起こし、それを整理せずに放置することです。

例えば、信念のない人は、自分の責任範囲を明確にせず、他人に後始末を押し付けることが多くなります。

物理的な環境でも、整理整頓ができず、部屋が散らかりやすくなります。

この問題を解決するためには、自分の行動に責任を持ち、他人を巻き込まない意識を持つことが重要です。

また、自己管理能力を鍛え、行動を整理し、無駄を省く習慣を身につけることが求められます。

親子の共依存の末路

改善は若い時にしよう!

改善策を述べましたが、高齢になると残された時間が少ない。

また、思考が固定化され、順応性も下がってきます。

行動が固定化された場合、改善の可能性は少なくなります。

以下、依存状態で生活を積み重ねた時に起こる行動例(末路)です。

例1)友情をシェアできない

一人の存在しか認められない

子供の頃から、自分の世界観だけで大きくなった人は、他人と世界を分かち合う能力が身につかない場合がある。

自分中心の世界で、他人と自分の境界が存在しない。

対人的には、他人に支配されるか自分が支配するかの関係しか無い。二人の権利を同時に認めることがありません。

一人思考であり、思考の分化ができていないので、友情関係を作ることができない。

小さな時に、他人の権利を認める能力を身に着けておかないと、大人になって身に着けるのは非常に難しくなります。

2010年以降、個人主義が進むに連れ、この一人思考は社会で放置される傾向にあるように思われます。

例2)50歳を過ぎても自己探しをする

自分の中に統計は存在するか?!

自分の性質、性格、内面は20代から色々挑戦してきて、それを材料として自分の中に統計ができていることが望ましい。

50歳、60歳を過ぎてから、自分のことを知らないとか、自分の不向きなことに挑戦するなどは、今までの人生学習を怠ってきたか、何らかの要因でする時間を取れなかったことが原因。

怠惰な人生を送り、高齢になって自己探求しますというのは、今までのその人の生き方を問われることになる。

50歳過ぎて、自分の事を自分でよく知らないと、人付き合いや生活でとても非効率。

無駄な買い物をしたり、無駄な人付き合いをしたりで時間を取られて、生産力がとても低い生き方になる。

これは、根本的な改善策はない。

だから、「若い時の経験や学習が大事だ」と言われるのだ。

この言葉の大切さを真面目に受け止めていない結果が、高齢になってからの低い生活を生む結果になる。

自分の人生の責任は自分で取るしか道は無くなる。

例3)人の環境を乗っ取るクレクレ星人

自分の事は全部、他人がしてくれた

子供の頃に、自分の身の回りの事を母親が全てすることを習慣にして育つと、将来、とても厄介なことになります。

自分のことは、いつも他人がやるのが初期設定になっていますので、身の回りに起こる問題を解決するのは他人。

母親が行わない場合は、母親のお金で問題解決する。

すると、他人の所有物は自分のものでもあるという設定ができてしまいます。

現代のオープンなシェアの時代には、一見正しそうですが、個人の所有権の概念ができていないと、自分の権利と他人の権利を分けて考える能力が身につかなくなります。

人は自分の環境を自分で管理して、幸福に過ごせるようにしています。

一つのアカウント(権利)で統合して管理しています。

自分の管理が出来ない人は、他人が整備しないと環境が散らかってしまいます。

その人は考えます。

「なんとか自分も人と同じような快適な状態になりたい。」

そのために、自己環境を整備する工夫や努力をするのではなく、一番早い方法をとります。

それは、他人の家を自分のものにすること。

ところが、家であれば乗っ取ることは可能ですが、人の生き方になると乗っ取ることは難しくなります。

それは不可能なので、幸福な人を見るとその人の悪口を言って相手の価値を下げたり、幸福な人を自分の下につけて働かせようとしたりします。

自分をきちんと管理できず不幸な人が幸福になる道は、自己反省、自己改善、自己整理、自己努力。

他人を羨むのは、前進にはなりません。

快適な他人の家に住み着いてエネルギーを取って生活すると、その場所のエネルギーが無くなった時には再び別の快適な家を探し、そこにに住み着くでしょう。

その人は永久に「寄生人」です。

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