親子の共依存のデメリットとその末路を解説!


依存とは

依存とは、それが無くては生きていけない状態

共依存とは

母子関係から生じる共依存の人間関係は色々な問題を引き起こします。

対人依存とは、幼い頃の母子関係で、母親が子供の判断力を奪ってしまった状態。

母親が子供の身の回りの事を全て決め、子供に判断する権利が無い。

子供は自己判断能力を出す機会が失われ、能力が伸びないままの状態になる。

また、母親は子供に頼られることで、自分の自信の無さを埋める。

母親の根底にあるのは、自信の無さです。

そして、お互いに離れられない関係になる。(共依存)

依存した子供がそのまま大きくなると、自分のことは周りの「誰か」がしてくれるのが当たり前の状態になります。

生きるために、常に誰かを周りに置くことが常態化します。

今までの問題解決は、親がお金を支払って行っていました。

子供は大人になっても自己責任を持つことが無く、自分に責任がかかる時はお金で解決する等の方法を取るようになります。

例1)依存状態のまま大人になると

タロウは、昔から人に尊敬されるのが好きでした。

それで、教師になりました。

動機は、尊敬されるためです。

尊敬される関係性を作るのに夢中になって、30年間働いて退職しました。

実際は、人のために働くということを知りません。

自分はいつも尊敬される「上の人」でいるからです。

でも若い時から、自分が実力が無いなと薄々感じていました。

みんな楽しそうで充実しているようですが、自分は充実していない。

虚無感を感じながら30年間走り続けてきました。

初老になったタロウは、実際は、人のために働くということを知りません。

親子の共依存がもたらすデメリット

信の核の無い人をつくる

依存状態で大人になると、心に信の核(確信)が作られません。

このような信の核が無い人が世の中には多く存在します。

思考の軸が無い人は、一つの思考を集める場所が決まっていません。

確信が無い人は自分の行動履歴も一つの場所に集まらない。

思考が、日によってコロコロ変わる。

大人になってこの核が心の中にできなかった場合、自分の思考の組み立てがうまくいかない。

通常の人は、年月を重ねるごとに思考が積み上げられていくが、信じる核の無い人は、日ごとに思考がバラバラで、いくら年月を重ねても進歩が無い。

一回ずつの思考は全て活用されることは無く、ゴミになっていく。

10年20年経っても、自分の蓄積データというのが全く存在しない。

自己の統合がなされない人は、材料を集めて自分の中でエネルギーに変えるということができない。

自己発電ができない。

生活エネルギーは自分で作るのではなく、他人の出来上がったものを探し求めに歩く。

同じ人間でも生物的にはこれぐらいの違いが存在する。

・自信をつくり出す書籍

無駄な行動を繰り返す

信の核のない人は、行動管理ができない。

行った行動が自身に統合されないで、バラバラに散らかります。

後で片付けようとしても片付けられなくなる。

このゴミのことを「行動ゴミ」と呼ぶことにする。

信の核のない人は、他人と自分の所有権が明確に分けられてなく、他人に自分の行動ゴミを処理させることも、しばしば起こります。

生活環境においても、物が散乱します。

環境のゴミを自分で責任持って処理させるようにするため、領域を明確にすることが大切。

行動ゴミにおいても同様で、自分の課題は自分で責任を持たすようにすること。

他人を巻き込むような状態にしないようにすることが大切。

改善方法

信の核(確信)の無い人が核を作る方法を挙げておきます。

自信をつけるには

・好きなものを一つ決め続けること

・過ごす場所を一つ決めること

例えば、釣りが好きなら釣りを通じて色んなことに接すること。

つまり、思考トピックスを決めて、それを続けることで信の核(確信)が出来上がってくる。

思考ノートを一つに決めるのも良い方法です。

信の核のない人は、決めても散らかりやすい。

その繰り返しが起こる。

そういう人は、行動の中心となる物を自分に優先して固定するのが良い。

親子の共依存の末路

改善は、なるだけ若い時に

改善策を述べましたが、高齢になると残された時間が少ない。

また、思考が固定化され、順応性も下がってきます。

行動が固定化された場合、改善の可能性は少なくなります。

以下、依存状態で生活を積み重ねた時に起こる行動例(末路)です。

例1)友情をシェアできない

一人の存在しか認められない

子供の頃から、自分の世界観だけで大きくなった人は、他人と世界を分かち合う能力が身につかない場合がある。

他人に支配されるか、自分が支配するかの関係しか無い。

二人の権利を同時に認める能力が備わっていない。

単一思考であり、思考の分化ができていないので、友情関係を作ることができない。

小さな時に、他人の権利を認める能力を身に着けておかないと、大人になって、それを身に着けるのは非常に難しくなります。

2010年以降、個人主義が進むに連れ、この単一思考は社会で放置される傾向にあるように思われます。

・自信をつくり出す書籍

例2)50歳を過ぎても自己探しをする

自分の中に統計は存在するか?!

自分の性質、性格、内面は20代から色々挑戦してきて、それを材料として自分の中に統計ができていることが望ましい。

50歳、60歳を過ぎてから、自分のことを知らないとか、自分の不向きなことに挑戦するなどは、今までの人生学習を怠ってきたか、何らかの要因でする時間を取れなかったことが原因。

怠惰な人生を送り、高齢になって自己探求しますというのは、今までのその人の生き方を問われることになる。

50歳過ぎて、自分の事を自分でよく知らないと、人付き合いや生活でとても非効率。

無駄な買い物をしたり、無駄な人付き合いをしたりで時間を取られて、生産力がとても低い生き方になる。

これは、根本的な改善策はない。

だから、「若い時の経験や学習が大事だ」と言われるのだ。

この言葉の大切さを真面目に受け止めていない結果が、高齢になってからの低い生活を生む結果になる。

自分の人生の責任は自分で取るしか道は無くなる。

例3)人の環境を乗っ取る

自分の事は全部、他人がしてくれた

子供の頃に、自分の身の回りの事を母親が全てすることを習慣にして育つと、将来、とても厄介なことになります。

自分のことは、いつも他人がやるのが初期設定になっていますので、身の回りに起こる問題を解決するのは他人。

母親が行わない場合は、母親のお金で問題解決する。

すると、他人の所有物は自分のものでもあるという設定ができてしまいます。

現代のオープンなシェアの時代には、一見正しそうですが、個人の所有権の概念ができていないと、自分の権利と他人の権利を分けて考える能力が身につかなくなります。

人は自分の環境を自分で管理して、幸福に過ごせるようにしています。

一つのアカウント(権利)で統合して管理しています。

自分の管理が出来ない人は、他人が整備しないと環境が散らかってしまいます。

その人は考えます。

「なんとか自分も人と同じような快適な状態になりたい。」

そのために、自己環境を整備する工夫や努力をするのではなく、一番早い方法をとります。

それは、他人の家を自分のものにすること。

ところが、家であれば乗っ取ることは可能ですが、人の生き方になると乗っ取ることは難しくなります。

それは不可能なので、幸福な人を見るとその人の悪口を言って相手の価値を下げたり、幸福な人を自分の下につけて働かせようとしたりします。

自分をきちんと管理できず不幸な人が幸福になる道は、自己反省、自己改善、自己整理、自己努力。

他人を羨むのは、前進にはなりません。

快適な他人の家に住み着いてエネルギーを取って生活すると、その場所のエネルギーが無くなった時には再び別の快適な家を探し、そこにに住み着くでしょう。

その人は永久に「寄生人」です。