2010年以降、一段落は永遠に来ないと言える理由

情報が少ない時代はやって来る情報一つ一つに対処していました。この頃は一段落ができた時代です。
2010年以降のスマホが普及した後では、情報は生活空間に飽和状態に達し更に増え続けます。溢れた除法は放っておくのが常になりました。
脳内メモリーが直ぐに一杯になるので、休息は隙間の限られた時間で適宜に取っていくマラソンのような生活サイクルを続けていくことになります。
そして必ず必要になる情報は、検索で呼び出して使うのが一般的な生活ルールになりました。
田舎生活にも情報化はやってきた

都会生活と比べると、田舎はゆっくりと時間が流れ、穏やかな生活を送るのに適しています。
しかし、田舎においてもインターネットに繋がり毎日スマホ生活を送っていると、情報の量は一気に増えました。
ゆっくりの生活のはずが、入ってくる情報で事務作業や作業などで生活の高速化が進んでいます。
大自然の中でも、情報は飽和状態になりました。
常に引き算・削除を楽しむ

スマホが普及する2010年以前は、一段落したら他の人の仕事をするということが常だった。
一段落はいつものパターン。
2015年ぐらいからこの考えはやめたほうがよさそうだと感じた。
自分の設定項目もどんどん増えている。
一つの事から分岐しているものがとても多い。
今ある仕事は膨張し続ける。
すると、そもそも基本設定として一段落というのは来ない。
大事なことは自分のすることをどんどん省略していくことと、自動化を進めていくことだ。

省略は常にやっていって、ちょうど良いかまだ足りないくらいだ。
真面目に全ての事をやろうとすると脳のエネルギーが無くなって、うつ病になってしまう。
デジタル情報は放置する時代のデジタルネイチャー(→こちら)と言ってきましたが、
デジタルの自然の中で、自分の行うタスクの領域を常に決めていくことが大事だ。
一段落の概念は、無くしていこう。
すると大切になるのは「暇さえあれば積極的休み」(→こちら)の概念を取り入れることだ。