【告白】私が20年続けた学習指導に、魅力を感じなくなった「たった一つの理由」

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こんにちは。20年以上、子どもたちの「学び」の最前線に立ち続けてきた教育ブロガーです。

これまで何千人もの子どもたちに、英語や数学、理科、社会を教えてきました。「先生のおかげでテストの点が上がった!」「志望校に合格できた!」という言葉を浴びるたびに、この仕事に誇りを感じていたのは事実です。

しかし、ここ数年、私の心の中には、日に日に大きくなる「黒い染み」のような疑問が広がっていました。

「私が教えているこの知識は、この子たちの人生を本当に豊かにするのだろうか?」

そして、ついに私は、これまで情熱を注いできた学習指導に、ほとんど魅力を感じなくなってしまった自分に気づいたのです。

この記事は、私と同じように現代の学校教育に疑問を持つ保護者の方、現場で苦悩する先生方、そして「あの勉強、何の意味があったの?」と一度でも思ったことがあるすべての人に向けて書いています。

これは、単なる愚痴や批判ではありません。私自身の20年間の指導経験と、時代の変化を肌で感じてきたからこその「未来への提言」です。ぜひ、最後までお付き合いください。

なぜ学校の勉強は「役に立たない」と感じるのか?

「学校で習った勉強なんて、社会に出たら使わないよ」

あなたも一度は口にしたり、耳にしたりしたことがあるのではないでしょうか。この陳腐で、しかし誰もが心のどこかで共感してしまう言葉の裏には、無視できない真実が隠されています。

昭和の「正解」は、令和の「足かせ」になる

私が子どもだった昭和の時代。知識は「覚える」ことに価値がありました。たくさんの情報を記憶し、テストで正確にアウトプットできる人間が「優秀」とされました。

  • 歴史の年号の暗記
  • 数学の複雑な公式
  • 古文の助動詞活用

これらは、決められた「正解」にたどり着くための訓練でした。当時はインターネットもなく、知識は本や教師から得るしかありません。だからこそ、「知っていること」自体が力だったのです。

しかし、時代は変わりました。
今や、人類が蓄積してきた知識の大半は、ポケットの中のスマートフォンで瞬時に検索できます。「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」と覚えなくても、「鎌倉幕府 成立」と打ち込めば、最新の研究に基づいた情報まで手に入るのです。

【みんなの声】

「三角関数、人生で一回も使ったことない。あれを猛勉強した時間で、もっと別のことできたんじゃないかって本気で思う」(30代・営業職)

「古典の授業、マジで苦痛だった。現代語訳読めばいいじゃんってずっと思ってたな。あの時間で英語のコミュニケーション能力を磨いた方が100倍役に立った」(20代・デザイナー)

もちろん、私は基礎学力のすべてを否定するつもりはありません。読み書き計算といった土台がなければ、高度な思考はできません。歴史の流れを知ることは、現代社会を理解する上で重要です。

問題なのは、「知識の価値」が劇的に変化したにもかかわらず、教育の中身がほとんど変わっていないという事実です。かつて価値があった「記憶力」の訓練に、私たちは子どもたちの貴重な時間を、今もなお費やし続けているのではないでしょうか。

失われた時間という「機会損失」

私が学習指導に絶望した最大の理由は、この「機会損失」への気づきです。

考えてみてください。
もし、子ども時代、あの膨大な時間を別のことに使えていたら?

  • 古文の単語を覚える代わりに、プログラミングの基礎を学んでいたら?
  • 複雑な因数分解を解く代わりに、自分の考えを発信するブログを書いていたら?
  • 理科の実験レポートを写す代わりに、動画編集のスキルを身につけていたら?

おそらく、今の人生はもっと豊かで、選択肢の多いものになっていたはずです。私自身、大人になってから必死でパソコンやWEBのスキルを学びました。今、私の生活を支え、向上させてくれているのは、間違いなくこちらのIT技術です。

これを学ぶたびに、強烈な後悔に襲われます。
「なぜ、もっと早くこれを学ばなかったんだ」と。

そして、その矛先は、自分が指導している子どもたちに向かいます。
「私はこの子たちから、未来で本当に役立つスキルを学ぶ時間を奪っているのではないか?」
この問いが、鉛のように私の心にのしかかるのです。

学校の教科は、国が定めた「他人に決められた学習」です。それは、一定の基礎力を保証するかもしれませんが、個人の興味や才能を伸ばし、直接的に生活を向上させる力にはなりにくい。私たちは、良かれと思って、子どもたちに「賞味期限切れの知識」を与え、未来の可能性を奪っているのかもしれないのです。

これからの時代、本当に必要な「未来の教室」とは?

では、すべてを嘆き、諦めるしかないのでしょうか?
いいえ、違います。絶望の先に見えてきた、これからの教育に必要な「3つの柱」を提案します。

1. 「読み・書き・IT」の新・基礎学力

もはや、ITスキルは一部の専門家のものではありません。現代を生きるすべての人にとって、読み書きと同じレベルの「必須教養」です。

しかし、多くの学校で行われているのは、せいぜいWordやExcelの簡単な操作方法を学ぶ程度。これでは、大海原に竹槍で挑むようなものです。

本当に必要なIT教育とは、以下の要素を包括したものです。

  • 情報リテラシー:フェイクニュースを見抜き、信頼できる情報を取捨選択する力。
  • プログラミング的思考:物事を論理的に分解し、問題解決への道筋を立てる力。
  • クリエイティブスキル:動画編集、デザイン、ライティングなど、自分の考えを形にする力。
  • ネットコミュニケーション:SNSでの適切な発信、オンラインでの協業、デジタル市民としての倫理観。

これらは、どんな職業に就こうとも、人生を豊かに生きる上で不可欠な「サバイバルスキル」です。国語の授業でブログを書き、算数の授業でデータ分析を行い、社会の授業で地域の課題をWEBサイトで発信する。教科とITを融合させることで、学びは一気に「自分ごと」となり、生きた知識へと変わります。

【みんなの声】

「うちの子、小学生だけどプログラミング教室に通わせてる。ゲームが好きだから始めたけど、論理的に考える力がついてきたのがわかる。学校の勉強より楽しそう(笑)」(40代・主婦)

「会社で『PC使える』って言ってた新人が、Wordで文章を中央揃えにすることしかできなくて愕然とした。ITリテラシーはマジで義務教育にしてほしい」(30代・管理職)

2. 「教える(Teach)」から「引き出す(Facilitate)」へ

これからの教師の役割は、知識を一方的に教える「ティーチャー」ではありません。子ども一人ひとりの興味関心を引き出し、その探究をサポートする「ファシリテーター(支援者)」へと変わるべきです。

今の学校教育は、いわば「既製品の服」を全員に無理やり着せようとしているようなもの。身体に合わなくても、好みに合わなくても、「これがルールだから」と。

しかし、未来の教室は「オーダーメイドの服」を作る場所であるべきです。

  • 昆虫が好きな子には、新種の昆虫を探すプロジェクトを。観察記録をブログで発信させ、海外の研究者とオンラインで繋げる。
  • ゲームが好きな子には、ゲーム制作のプロセスを。プランニング、プログラミング、デザイン、マーケティングまで、総合的な学びの機会を与える。
  • 歴史が好きな子には、特定の武将について徹底的に調べさせ、その生涯をテーマにしたドキュメンタリー動画を作らせる。

「好き」は、最強の学習動機です。その探究の過程で、情報収集のために国語力や英語力が必要になり、データをまとめるために数学的思考が必要になる。教科の学びは、探究という目的のための「手段」として、自然と身についていくのです。

3. 「学校」という壁を壊し、社会と繋がる

なぜ、学校の勉強が「役に立たない」と感じられるのか。それは、学びが学校という閉じた世界で完結してしまっているからです。

未来の教育は、学校の壁を積極的に壊していく必要があります。

  • 地域の企業と連携し、商品開発プロジェクトに挑戦する。
  • 社会課題を発見し、解決策をクラウドファンディングで提案する。
  • 金融の専門家を招き、実践的な「お金の授業」を行う。

社会のリアルな課題に触れ、自分の頭で考え、行動し、その結果として誰かから「ありがとう」と言われる経験。これこそが、自己肯定感を育み、「学びは社会と繋がっている」という実感を与える最高の教育です。

テストで100点を取ることよりも、自分が企画したイベントで集めた1000円の方が、子どもの人生にとってはるかに価値のある「成功体験」になるかもしれません。

結論:絶望の先に見えた、新たな情熱

私が学習指導に魅力を感じなくなったのは、教育そのものに絶望したからではありません。昭和の価値観のままアップデートされない「古い教育システム」に絶望したのです。

子どもたちは、私たちが想像する以上に、新しい時代に適応する力を持っています。彼らの可能性を縛り付けているのは、他ならぬ私たち大人であり、旧態依然とした教育制度なのです。

この記事を読んで、あなたは何を感じましたか?

もしあなたが保護者なら、子どもの「ゲームばっかりして!」という小言を、「その情熱をどうすれば未来の力に変えられるだろう?」という問いに変えてみてください。PCやタブレットを買い与えることを、未来への投資だと考えてみてください。

もしあなたが教師なら、明日の授業に一つでもITを取り入れてみてください。教科書に書いてある「正解」を教える5分を、生徒が自由に問いを立てる5分に変えてみてください。

私が失ったのは、「古い地図」を渡すことへの情熱です。
そして、今、新たに燃え上がっているのは、子どもたちと一緒に「新しい地図」を創り上げていくことへの情熱です。

未来は、悲観するものではありません。創り出すものです。
子どもたちのために、そして私たち自身の未来のために、今こそ教育というOSをアップデートする時が来ています。

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