パソコンを教えてくれの罠|2015年頃~パソコンの個人サポートは不可能

パソコン個人サポートの場合、居なくてはならない人になるのは、要注意!

環境の一部にされてしまい、抜け出せない状態になります。

WindowsXPの時代、習うことは決まっていた

Windows 95 が普及し始めた頃から、パソコンスクールが普及しました。

文章入力など主にワードやエクセルの操作方法、メールの送信の仕方などを教える所が多かった。

近年では パソコン所有は当たり前に。

使用目的も様々になり、また操作で困ったり行き詰まったりするケースも様々に。

それぞれの目的に応じた授業を行うことは困難。

教える側は、 一人一人個別の課題を取り上げているわけにはいかないので、基本的なことを教えるしかありません。(2020年2月3日)

本来は、人が先でパソコンが後

学校の教科を教える場合に共通科目が あります。

学習塾なのでは英語とか数学とか理科とかその科目で共通のことを教えることができますが、これは科目分けしたことによって可能です。

学習教科が、認識の最大公約数になっています。

パソコンは 人の考えや行動を殆ど全てデジタル化することができます。

人によって行う動作というのが無限に存在します。

近年の機械の発達というのは、最初は Windows でやること(最大公約数)が決まっていました。

次第に機械が人に追いついてきて、多種に分化しました。

人の個性の数だけ作業が存在します。

昔、言われた「パソコンを教える」という言い方は意味がなくなり、その人の目的に応じた使い方を教える必要があります。

サポートには個人の環境が伴うようになった

Windows初期の頃は、パソコンサポートはパソコンだけを見ればよかったのですが、インターネット接続が常態化して、機械本体のこととWEB上の操作のことに増えてきました。

更に、Wi-fi 接続やセキュリティ関連のこととの兼ね合いなど、周囲の環境も知らないとサポートが難しくなりました。

知り合いの部屋に行き、簡単にパソコンだけ見て済むということは少なくなりました。

サポートする側には、一つのことを解決するのに多くのことを見ないといけない状態になりました。

これが、他人が当人のパソコンのサポートを難しくした原因の一つです。

サポート環境条件の遷移

XPの時代の作業量は、1:1

2020年以降の作業量 100:100  の関係

自分のことを他人に聞くと大変

自分のことがよく分からない人がいて、他人に自分のことを聞いて回ることがあります。
他人は基本的に自分の内面まで分からないので、それぞれが適切でないアドバイスをします。これが、延々と続くことになります。

パソコンのことを他人に聞くのも同じことで、他人は自分のパソコンの詳細まで分かりません。パソコンは、自分の体の一部と思って、自分でよく知っておく必要があります。

パソコンは自己責任で管理が必要

家庭にコンピュータが入ってきた当初、その使い方や機械の構造はみんな知りませんでした。

分からないことは、電話サポートを受けることができました。

次第にその形式は無くなり、個人の所有物であるパソコンは自己責任で管理することが必要になりました。

パソコンを教えてくれの罠

例1 パソコン教えて → エクセルで栄養管理

例2 パソコン教えて → カーナビソフトの操作

例3 パソコン教えて → 土木工事入札の設定

例4 パソコン教えて → カードローンの申込み 

知り合いからパソコンを教えてほしいという依頼があり、2010年頃から2017年ぐらいまで続けていましたが、やっているうちに無理が生じてきました。

最初のうちはこの問題の正体がわからなかったのですが、どうも自分と違う分野のことやお客さんそれぞれの専門的な事をこちらがやる状態になってしまうことが原因のようです。

これはパソコンという基礎操作の上に個人の専門分野が成り立っていることが原因です。

一口にパソコンを教えて欲しいと言ってもそのお客さんが言っていることは、専門分野においてのパソコンの使い方です。

読み書きそろばんという基礎の上に、いろいろな思想展開がなされるのと同じことです。

2010年頃から今まではパソコンを使わなかった専門的な仕事にパソコンが入ってきたためにそれぞれの人はパソコンの技術を誰かに教えてもらいたいというのがあった。

そのためにパソコンを教えて欲しいと言うリクエストがくるようになる。

しかし、その実態はお客さんそれぞれの専門的な分野であって、一人のお客さんならまだしも複数のお客さんの専門分野をサポートする側が操作することはできない。

これを私は、「パソコンを教えてくれの罠」と呼んでいる。

今後の課題

個人は数倍の時間をパソコン学習に取られることになりました。

高齢になるとリアル生活のことで一杯で、パソコン学習の時間を生活に組み入れることは大きな負担になります。

学習が進まずに、放置した状態でいる人が増加します。

放置が当たり前の時代(Digital Nature)になってきます。